始まりは大体いつもの通りだった。ただ違うのは、この時ザップは強かに酩酊していたため判断力がいつにも増してなくなり、後々の面倒を想像する力がなく、それゆえにその男の口車に乗ってしまったことであった。
曰く、一晩だけ待ってやる、明日何が何でも返す誠意を見せろ、そうすればもう少し考えてやる、ただこのまま待つにはお前の信用が足りない。だから、お前の隣にいるそいつを預かる、と。
ザップはそれでこの場を切り抜けられるならと、その言葉に頷いた。今自分の隣に誰が座っていたかも正しく認識せずに。
そして更に最悪なのは、ザップはこの記憶を酩酊感と共にすっかり失ったことだった。
「レオが行方不明になった」
クラウスの言葉に、周りは騒然となった。
「いくら電話をしても出ないし、バイトの方も空振り。GPSの追跡もできてない状況だ。というわけでザップ、何か知らないか」
スティーブンの言葉に、ザップは勿論考えた。しかし思い出せない。数日前、彼を連れて飲みに出た記憶はあるが、その日の記憶はいつものごとく途中で途絶えているし、次に目覚めた時には最金贔屓にしている愛人の部屋だ。
「いや、知らねえっすね」
「そうか。ちなみにGPSが最後まで反応を示したのはお前がよくレオを連れて行く飲み屋だったが、それでも知らないんだな」
「し、知らねえっすよ! 起きたらあいついなかったし」
「……そうか」
言葉だけ聞くと納得したように思えるが、スティーブンの顔にははっきりと「使えない」と書かれていて、ザップの背に冷たいものが走る。
「ひとまず、彼が生きているかどうかの確認は必要だ。一応気にかけておいてくれ」
「探さなくていいんですか」
ツェッドが質問すると、スティーブンは肩をすくめる。
「まだ判断がつかんならな。ただスマホが壊れて連絡がつかんだけで、明日になったらひょっこり戻ってくるかもしれない。一応、この後彼の部屋に行くつもりだが」
「あら、スティーブン先生が行くの?」
「いつもならザップに行かせるところだが、こいつは別のところに行かないといけないからな」
「別ぅ? なんかパシリっすか」
「お前、ジェンツー氏に金借りてるだろ。督促状がここに届いたぞ」
スティーブンにべちんと紙を叩きつけられる。その紙に書かれている内容は、確かにザップ宛の督促状だった。額までしっかり書いてある。
「げ」
「ここバレてんの? やばいじゃない」
「いや、そもそもジェンツー氏はこっちのことを知ってる。支援者の一人なんだ。そしてその支援者から金を借りて踏み倒そうとしてるクズがこれだ」
「ザップっち〜、ちゃんとお金は返さないとだめよ」
「ひとまずお前は金を返すことに専念しろ。わかったな」
「……っす」
スティーブンの圧力に、流石に支援者に金を借りるのはまずかったかと、ザップは少しだけ思い、とりあえず頷いた。
その翌日、ザップはなんとかして借金を返済するだけの金を用意できた。もとの額が比較的小さく、かつ利子も良心的なほどに少なかったので、その辺のイベントのファイトマネーで稼げる程度の額だったことが幸いした。
そうしてジェンツーのところへ行くと、彼はため息をついた。
「その誠意はもう少し早くに見せてほしかったな」
「いやー、そのー、なかなか持ち合わせがなくー」
「テメェのそれは信用するに足らねえとわかってるから、余計なごますりはやめな」
「ボス、全額揃ってます」
ジェンツーの手下がそう話すと、ジェンツーは鷹揚に頷く。
「差額は返してやれ」
「はっ」
そんなやり取りがあった後、なぜか七割近くがザップの手元に戻された。
「は?」
「テメェの借金のカタに預かってた坊主が売れちまってな。これはその時払われた額だ」
「あ? 借金のカタに、坊主? 何のことだ」
「……あー、なるほどな。坊主の言い分が正しかったか」
「だから何の」
「先週だったか? テメェが飲みに行ってるとこに出くわしてな。返済日が過ぎてるからさっさと返せって話をしたんだが、その様子だと覚えてねえな」
先週で飲みに行ったとなると、レオナルドと飲みに行った日のことだろうか。しかしその日にジェンツーに会った記憶はない。
「覚えてねえんだな。俺は一度は慈悲をやるタイプだ。だから一晩だけ待ってやるって話をお前にした。ただテメェの信用は足りねえから、隣のやつを担保として預かるって話をした。その時に預かった坊主が、こいつだ」
ジェンツーはスマホを操作したかと思うと、画面を見せてくる。そこに写っていたのはレオナルドだった。
「は!?」
こちらの反応に、ジェンツーはジト目でこちらを見る。
「マジで覚えてねえんだな。あーあー、あの坊主かわいそうに。まあ本人も覚悟はしていたみてえだが、それにしてもなあ」
「今こいつはどこにいるんだ」
「お前が誠意を見せに来なかったから、仕方ねえしうちで下働きさせてたんだがな。二日前にラオフーに買われちまってな」
「ラオフー?」
「メイリン中華街を縄張りにしてるチャイニーズマフィアだよ。あそこのフーって男が買っていった」
「な、なんで」
「小間使いに丁度いいっつってたぞ。あそこはヒューマーへの扱いは優しい方だから、なんか変なことはされてねえと思うが」
そう言ってから、ジェンツーはふと声を落とす。
「まあ、あそこに売ってカタギに戻ったやつを知らねえから、今頃どっぷり漬けられちまってるかもな」
ジェンツーの言葉にすぐ飛び出し、ザップはメイリン中華街へ向かった。ラオフーの本拠地もフーという男の出入りする場所もわからないので、その辺のチンピラらしき男でも締め上げるかと、ザップは中華街をうろつく。
しかし、チャイニーズマフィアが取り仕切っていると言う割に、見た目カタギにしか見えない者しか中華街にいない。時間帯のせいかとも思うが、いっそ不自然なほど普通の人間しかいない。そう、異界人すら見当たらないのだ。流石に異様だと思い、その辺の誰かを締め上げるかと思っていると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あの、流石にこれ以上は」
「オレがいいって言ってるからいいんだよ。ほら、これとか似合うと思うぞ」
「いやー、ちょっと派手すぎるような」
声が聞こえた方に走っていくと、そこにレオナルドはいた。しかし、その隣には見たことのない男がいて、更にその周りには護衛と思しき者が数名いる。その一団に近付いていくと、レオナルドがこちらに気付いた。
「ザップさん!」
「お前、どこに行ってんだよ!」
「いやあんたが人を売り飛ばしたりするからこうなってんすよ!?」
「おいおい、自力でどうにか逃げ出せよ」
「逃げたら首が物理で吹っ飛ぶとか脅されてる状態で逃げられるわけないじゃないですかあ」
「そこをどうにかすんだよ」
「ンな無茶言わないでくださいよ!」
「そうそう、かわいそうだったんだよ。明らかにカタギなのに、首輪された状態でジェンツーのところで働かされてさあ」
話に混ざってきたのは、レオナルドの隣にいた男だ。白い髪の若い男だが、アジア系なので見た目より年齢が上かもしれない。
「なんだテメェ」
「レオの今の飼い主」
「はあ?」
「フーさん、言い方がちょっと」
「でも対外的にはそうなってるからさ。気にくわないと思うがちょっと我慢してくれ」
レオナルドに親し気な調子でそう言った後、男はザップを見てニヤッと笑う。
「いやー、娘が犬を飼いたいって言っててさあ。でもいきなり犬を飼うのは心配な年齢だから、ひとまず人間でも飼わせるかあと思ってたら、丁度娘が欲しがってた犬に似た風貌の彼を見つけたわけ。これでジェンツー所属ならやばかったが、ただの借金のカタだっていうから、それじゃあ俺が肩代わりしようって、買い上げたってわけ。だから、オレが今の彼の飼い主。対外的にはね」
「……テメェが出した分の金払えば、所有権は移るってわけだな」
「さて、それはどうだろうな。オレは結構彼を気に入ってるし、ツレを借金のカタに差し出すような男に返すのはちょっとなあ。またどこかに売り飛ばされたら困るし」
「ぐっ」
「でもそうだな、オレは彼とは友人関係になりたいから、条件次第では君に売ってあげよう」
「え」
売られることに衝撃を受けたのか、レオナルドが声を上げる中、ザップは男を睨む。
「その条件ってのは」
「マウモウ、セラリア、アーノルド、ハンマーズ、」
男が次々とあげる名前に、ザップは聞き覚えがあった。というか、なぜこの男が知っているのかという不信感とわずかながらの恐怖心を感じ始めた。
「以上、ざっと三十余名。覚えがあるよな」
「お、おう」
やや気圧されつつ頷くと、男は愛想のいい笑みを浮かべる。
「彼らの借金を綺麗サッパリ精算してくることだ。それが確認できれば、レオをオレが買った金額で売ろう」
「は、はあ!?」
「短時間でジェンツーの借金は返せたんだろ? 他のも金額は大きくないし、君さえやる気になればできるはずだ。あ、言っておくが借り換えは認めないから」
男はそう言うが、総額でいえば結構な額になっていたはずだ。詳細は覚えていないが。それを一気に返済、しかも借り換え不可となると。
「頑張ってくれたまえ、ザップ・レンフロくん」
結論から言えば、ザップはなんとか金を工面し、借金を返し終わった。そうしてどうにかレオナルドを迎えに行き、無事彼を引き取った。
ザップは流石にこれはまずいことだと認識し、ライブラの面々にこの一連のことは黙っていたのだが、どういうルートでかスティーブンにバレ、更に他のメンバーにも最終的にはバレてしまい、かなり絞られることになってしまったのだった。